◆既に四半世紀を過ぎた過去の話ですが、平成5(1993)年に亡くなった元首相・田名角栄の相続税の期限内申告において、その支配下にあった同族会社・越後交通及び長鉄工業(親会社)の株式は、いずれも大会社かつ一般の評価会社として、いわゆる類似業種比準方式によって評価され、申告されていたものと考えられています。これに対して、東京国税局の資料調査課は、それらの子会社が保有する信濃川河川敷を測量して(あるいは、何らかの方法で測量図を入手した可能性もありますが、この点の詳細については定かでありません)、17%弱の縄伸びがある旨の事実を掴み、これを元に子会社株式を再評価することにより、2社の親会社の株式保有割合がいずれも25%以上となることから、株式保有特定会社に該当する(8憶円→51億円)ものと認定して、他の財産も含め、78億3千万円もの申告漏れを指摘したと言われています。
◆上記はノンフィクションのルポ[立石勝規著『田中角栄・真紀子の「税金逃走」』(講談社文庫)]からその税務調査の概要をかいつまんで紹介したものに過ぎず、田中角栄の相続税の申告書や取引相場のない株式の評価明細書そのものが公開されていない以上、多少、事実と異なっている点もあるかも知れません。ただ、見逃せないのは、当時25%以上(現在は平成25年2月28日東京高等裁判所による課税庁敗訴判決により、中会社・小会社と同様に50%以上となっています)とされていた大会社の株式保有割合による株式保有特定会社の判定基準が元となり、現実に43億円もの評価増となる事例が実在したという事実です。株式保有特定会社(現在は「株式等保有特定会社」)に該当するか否かで、これだけ評価額が変わってしまうという顛末は衝撃的であり、「行き過ぎた節税対策を封じる」ことを主眼として、平成2(1990)年に導入されたこの税制の怖さを如実に物語っているものと言えます。
◆さらに興味深いのは、この国税局による税務調査は、一種の課税庁による意趣返しとしての側面があったらしい旨の事実です。元大蔵大臣でもあり、同時に叩き上げの経営者でもあった田中角栄は、あらゆる税制の内容に精通しており、当然、この25%基準を意識してグループ会社の運営を行っていたものと推測されます。そこで、国税局は、土地の登記簿上の地積と実測地積とが異なる場合には、実測が優先される旨の大原則(財産評価基本通達8)を援用することにより、元管轄大臣に対して、ここで一矢報いる挙に出たというのです。前掲の著者・立石勝規氏(元毎日新聞社編集委員・論説委員)によれば、私の世界における田中角栄は、逆さ合併など、殊に同族会社を絡めた所得税・法人税に関する巧妙な租税回避行為に手を染める常習犯であり、その生前、税理士並みの知識と知恵を駆使して、旧大蔵省・国税庁に何度も悔しい思いをさせていたようです。そして立石は、この料調による税務調査が、本人の死後、課税庁が遺族に対して、一種の復讐を図る目的で行なったものであると断じています。
◆その後、平成9(1997)年に持株会社を「子会社の株式の取得価額の合計額の会社の総資産の額に対する割合が50%を超える会社」と定義することとした独占禁止法の改正がありました。さらに、これを一つの根拠として、前記平成25年の東京高裁判決が「会社の株式保有に関する状況が、平成2年の評価通達改正時から大きく変化していることなどから、株式保有割合25%という数値は、もはや資産構成が著しく株式等に偏っているとまでは評価できなくなっていた」と判示したことにより、この25%基準は高裁判決直後に廃止されました。元首相の税務調査の実施時期直後に独禁法の改正があった事実を考慮すると、この歴史に残る画期的な税務調査は、一歩間違えば、その課税根拠を失う可能性がある中で行われ、極めて限定的な時期にしか有効性を持たない内容であったとも言えます。しかしながら、土地の測量によって、非上場株式の評価額が大きく変わり得るという事実を示している点では、今後も実効性を持つ側面を持っており、非上場株式の評価に際して、記憶に留めておくべきものであろうと思われます。