相続の欠片たち

SCENE-1
専門家にも試用期間があるということ
我々税理士に限らず、いわゆる専門家が本当の意味でお客様に信頼されるのはどのようなタイミングでしょうか。例えば、信頼している人からの紹介であるというだけで、無条件にその専門家を信頼できる程、人間は単純にはできていないものです。それは医者でも弁護士でも全て同じだと思うのですが、恐らく、最初の何回かの面談においては、皆、半信半疑で接しており、内心は「この人で大丈夫なのだろうか?」と感じながら、相談対応や報告などを聞いているものなのだと思います。つまり、最初の3ヶ月から半年くらいは、試されている状態に過ぎないのが実態ではないでしょうか。
その試用期間と思われる時期においても、報酬は発生しているため、我々も信頼を勝ち得るように精一杯業務に向かい、お客様対応をしければならないのですが、その時のポイントとして、自分は主に3つの点に意識を置くようにしています。その一つ目のポイントはスピードです。お客様は「そんなに急いでいない」と口では言っていても、結果(我々の業務では最終税額)を早く知りたいという思いをどこかで抱いているものです。そして、重要なのは、可能な限り「思っていたより早かった」というように動き、万が一、遅れそうな時には前もってその旨を早めに連絡しておくことです。
二つ目のポイントはお客様が抱いている疑問点には誠実に回答した上で、叶えたいご要望(ニーズ)を外すことなく業務を行っていくことです。これはあらゆるサービス業に共通したセオリーであり、CS(顧客満足)の観点からは初歩的・基本的な内容なのですが、我々のような専門家の場合、時に疑問点や要望のヒアリングを丁寧に行っておらず、肝心の項目を外して業務を進めてしまうということがあり得るのです。これは「先生」と呼ばれる専門家にありがちなことであり、仮にどんなに専門能力、技術力が高かったとしても、ここができていないと信頼を勝ち得ることはできません。
そして3つ目のポイントはお客様に対して正確で美しく、整理されたレポートを提示していくことです。そこには根拠となるデータを分かりやすく表現していくことはもちろん、専門的な内容を正確に理解して頂くために、説明文の中で重要な部分の色を変えたり、書体を変えたりして、できるだけメリハリをつけたものにすることが重要だと考えています。また、ここに「美しく」というポイントを加えているのは、あるいは美術雑誌の編集長出身だからこそ身についた考え方かも知れません。そこには、理解の根源には理論と感覚が同時に働いているという私なりの思想が込められています。
SCENE-2
評価減の要素はいたる処に転がっている
相続税の申告業務の中で、評価減の柱となるのは主に土地と自社株だと言っても過言ではないのですが、いわゆる〈相続専門の税理士〉が通常、一番多くアピールしているのは土地の評価減に関する事項です。「普通の税理士とはここが違う」などと言って、得意げに語っている内容であっても、実はそのほとんどは国税庁がWEBサイト内で公表している財産評価基本通達やタックスアンサー、質疑応答事例などに記載されているものが大半です。逆に言えば、そこに記載されていない内容にまで踏み込むのが本当の相続の専門家なのですが、ここではその点はひとまず置いておきましょう。
実は土地の評価減の要素は、そこら中に転がっています。代表的なものとして墓地の隣にある土地は、いわゆる〈忌み地〉として取引上の制限を受けることから、1割の評価減を行うことが容認されています。この点に関しては、タックスアンサーのNo.4617 (利用価値が著しく低下している宅地の評価)の中に記載されていますので、ご興味がある方は検索してみて下さい。この解説の中には、高低差、振動、騒音、日照阻害など、土地取引の制限となり得る多くの例が書かれているものの、さすがに例えば、反社会的勢力の拠点の隣接地といった個別性のあるものにまでは触れられていません。
一方で身近な例として、広大な自宅の片隅に、鳥居や稲荷、洞、庚申塚などが設置されている例があります。これらの日常的に礼拝や信仰の対象となっているものの敷地部分につき、現在では非課税財産として取り扱って良いこととなっています。この点に関しては長く課税上、元々、非課税となる礼拝の対象物とその敷地とを一体で考える慣習がなかったのですが、平成24 年6 月21 日の国側が敗訴した東京地裁判決により、敷地も一体として非課税の取扱いとする旨の考え方が確定し、これを受けて「庭内神しの敷地等」という国税庁の質疑応答事例にその旨が明記されることとなりました。
最後に高圧線下の土地は、電力会社が定めた建築制限の内容により、3割、5割(借地権割合がこれを超える時は借地権割合)のいずれかの評価減を行うことが認められています。この内容に関して、国税庁の質疑応答事例では「区分地上権に準ずる地役権の目的となっている宅地の評価」という極めて分かりにくいタイトルが付された項目に書かれているため、一般の方には容易に理解しにくいかも知れません。要はこれまで見て来たように、取引・利用・建築の制限がある土地には、全て何らかの評価減が容認されており、そうした要素は実はいたる処に転がっているものなのです。


SCENE-3
名を捨てて実を採る旨の選択をした経験
長い実務経験の中で、私には名を捨てて実を採る旨の選択をした経験があります。元々は関東在住だった方がS市の医大に在学中に亡くなった事案があり、相続人の方と共に雪が降る中、S市内の税務署まで出向き、先方の統括官とあれこれ交渉をしたことを今でもハッキリ覚えています。その内容は小規模宅地等の特例を適用していなかった申告につき、事後適用を行うことを主眼として、更正の請求という相続税の還付を求める手続きを行ったもので、内容的には充分に自信を持っていましたが、税務署は請求を認めない旨の通知処分を行い、私はこれに対して異議申立を行いました。
この対応はある意味、予想されたものでした。更正の請求をするためには、当初申告の内容が「国税に関する法律の規定に従っていなかった」か「計算に誤りがあった」ことが求められており(国税通則法第23 条第1 項一号)、単なる特例の適用の失念は、そのどちらにも当てはまらなかったからです。もちろん、こちらはそんなことは百も承知の上で、統括官に対して「納税者を救済するための特例を失念程度の理由で適用しないのは不合理であり、現に宥恕規定(やむを得ない事情があれば、要件の具備を条件に税務署長の判断で事後適用を容認する)もあるではないか」と主張しました。
その時点で決着はつきませんでしたが、東京に戻り、何日か経った後でその統括官から電話が掛かって来ました。彼は、そこで現状のままでは異議を棄却せざるを得ず、それでは無用な争いが継続することになるため、あるアイデアにつき検討してみて欲しいと言って来ました。そのアイデアこそ「名を捨てて実を採る」内容だったのですが、彼は「異議申立を取り下げ、嘆願で出し直してくれれば、展開が明るくなる」という表現により、その内容を私に伝えて来ました。「明るくなる」とは、要は「宥恕規定を発動させ、特例の事後適用を署長決裁で認める」ということを意味していました。
これを受けてすぐに相続人に連絡し、これが還付を勝ち取る唯一の方法であることを説明し、「異議申立の取下書」と、実態は更正の請求と同内容の「嘆願書」の双方を作成し、S市の税務署に郵送しました。それから2 週間程度で納税者に減額更正通知書が届き、相続人には2 千万円近い相続税が還付されました。形として「異議申立」(現在の再調査の請求)という表面上の喧嘩には負けたものの、納税者に多額の相続税が還付された訳ですから、その内実は勝ったことになります。我々の業務は実を採ることが最優先ですから、名にこだわるべきでないことは言うまでもありません。
SCENE-4
お客様の通帳をお借りするということ
一定規模の財産をお持ちの方の相続事案の申告を行う際、我々は通常、業務上の必要から、初期段階で贈与税の課税上の時効期間に合わせて亡くなった方(被相続人)の過去6 年分程度の期間の通帳をお借りすることとしています。殊に通帳の入出金履歴の中に多額の使途不明金があるケースでは、それが誰に流れたか、あるいはどこから流れて来たのかを解明する必要があり、さらに資金移動の意味合いには「贈与」「貸付」「借入金の返済」など多くの解釈があり得ることから、これを一つ一つ確定させていかない限り、経験上、厳しい税務調査に耐え得るような申告とはならないからです。
また、配偶者や親族名義の預金の実体が被相続人の拠出した金銭によっており、相続財産を構成しているものと推認され、名義預金の存在が疑われるケースでは、被相続人のものだけではなく、相続人名義の預金通帳をお借りすることもあります。ただ、こうした申出を最初から行うのはどうしてもハードルが高く、先に被相続人名義の預金の動きの中に多額の使途不明金があることや、被相続人の過去の所得水準(可処分所得)から考えて、残された預金が少な過ぎるなどの事実を提示し、税務調査リスクを説明した上でないと相続人の協力を得られないことが多いといった現実があります。
私自身も過去の実務経験の中で、ある60代の未亡人の方からご本人名義の預金通帳をお借りしたことがあり、その時に「他人の預金通帳を見るのは楽しいでしょう?」と言われながら、渋々、通帳を渡されたことがあります。もちろん、こちらは仕事で被相続人の財産とするべき範囲を特定するため、必要があるからこそ調査をしているだけであり、実際には楽しくもなんともないのですが、私も当時、まだ30代前半の頃で若かったこともあり、何か自分がとても理不尽なことをしており、その未亡人の方からそれを暗に非難され、責められているように感じたことを未だに良く覚えています。
ただ、我々は税務署の味方をするため、国税サイドに協力するためにお客様の通帳を預かる訳ではありません。むしろそれは完全に逆なのです。税務調査が入りそうな事案において、お客様を守るため、損害を最小限に抑えるためには、どうしても課税庁の土俵と同じ場所に立って見ることが必要だからこそ、そのようにしているに過ぎません。通帳という究極の個人情報を業務の中で扱うのは、調査権を持つ公権力(警察・検察・国税)以外では、恐らく弁護士と我々くらいでしょう。将来の税務調査で嫌な思いをしないためにこそ、我々を信頼してこれを開示して頂きたいと考えています。


SCENE-5
不正経理があった際の相続税申告の厄介さ
相続の業務を長く続けていると、稀に亡くなられた被相続人の個人事業もしくはその同族会社が不正経理をしているケースに出くわすことがあります。私が最初に出会ったのは、個人で左官業を営む方の相続でしたが、貸借対照表に金融機関以外の債権者からの多額の借入金があったため、その借入目的につき奥様に照会したところ、急にそわそわし始め、最終的にはその借入金には何ら実体がないことを明かされました。要は経費を水増しする目的で、過去に外注加工費の相手勘定を借入金とする架空の会計処理を行い、その債権者として取引先や従業員の名前を拝借していたというのです。
このケースでは当然ながら、そのような実体のない借入金を相続債務に計上することはできないため、貸借対照表上の借入金を無視して、これが存在しないものと考えて相続税の申告を行いました。この結果、所得税と相続税の処理に整合性がないこととなりましたが、致し方ありません。その事案では不正経理の時期から既に10 年近くが経過しており、幸いにも所得税の課税上の時効が成立(更正期限が経過)していました。仮にもし時効の成立前であれば、相続税の処理が所得税の追徴課税を呼び込むこととなり、今度はその未払所得税が新たに相続債務となるような玉突き申告となります。
上記は個人事業のケースでしたが、同族会社の不正経理の例では、これとは真逆の粉飾決算がなされていることもあり得ます。例えば、建設業では公共事業への入札の道が閉ざされないようにと、実態は赤字であるにもかかわらず、利益が出ているように偽装するため、売上の相手勘定を役員貸付金とする架空の会計処理により、しばしば売上を水増しすることがあるのです。こうした不正経理に手を染めていた同族会社のオーナーに相続が発生すると、本来は欠損会社であり、株価がゼロであるはずの自社株式の評価額が結果的に真実と掛け離れた無意味な数値に膨れ上がることになります。
ただ、同時に実態のない被相続人の債務も計上されるため、相続税の課税上は、偽りのプラスとマイナスが相殺される結果となります。それゆえ、差引で考えれば大きな問題ではないように見える面もあるのですが、だからと言って、信頼できない財務諸表を基に株価計算をするのは邪道であり、お客様の対応状況によっては、時に申告業務を降りるという選択をせざるを得ないことすらあります。このように不正経理には所得税・法人税の問題だけに留まらず、一定期間を経過した後に生じる相続税の課税上も〈被相続人の負の遺産〉として大きな影を落としかねないような側面があるのです。